生涯続けられる仕事につきたかったから。
高校3年の夏頃、卒業後の進路を決定するにあたって、わたしは迷いに迷っていた。
中学時代から続けているバスケットボールでの体育大学の推薦入学を薦められていた。
朝から晩までバスケットボール一色の高校時代は、一日5回食べないと身がもたないほど、運動していた。
奈良県の北部に位置する高校だとはいえ、京都との県境まで約10キロのランニングをこなしたり、筋肉をつけるためにプロテインを飲みながらウエイトトレーニングもした。
左からの攻めに強くなるために食事をすべて左でするなど、とにかく星飛馬や鮎原こずえに負けないくらいの 努力は積んだ。
そして奈良県代表で国体にも出場するほどだった。
しかし、ふとこれは何歳まで続けられるんだろうと、素朴な疑問がわたしの脳裏をかすめた。
よーがんばって30歳かな・・・
それを思うと、あとの人生は何をするんだ?ととてつもなく不安になった。
現役ではなくなる・・・わたしにとっては非常につらいことだ。
バスケットボールに関わっていても指導者にはなりたくない。
生涯現場に立っていられる仕事に就こう!
そして、それが「ものづくり」だということに、はたと気付く。
80歳になっても90歳になっても、ものをつくりつづけよう!
かくして、わたしは映画の道を突き進むことになるのです。
もちろん、完全体育系のわたしですから映画なんて、まったく知らないわけで、とっかかりはTVの現場に行きたいでした。
しかし、入学した専門学校が映画に力を入れていたこともあり、どんどんとフィルムの世界にのめりこむのです。
「家族」はもっとも身近な人と人との結びつきを考えるのに一番いいとおもっているから。
それと、やはり自分の生い立ち(※)を考えるときに、わたしに無かったものをつくりあげたい、という衝動にかられるのかもしれません。
(※)父と母がわたしがお腹にいるときに別居をして、1歳半の時に離婚したことから、母方の叔母夫婦のもとで育っている。
(祖父母も離婚をしていたため自分の両親に母は身を寄せられなかった)
叔母夫婦は子供に恵まれず、わたしを実の子のように育ててくれる。小学校4年生の時、この夫婦の養女になる。ここで「河瀨」姓を名乗ることとなる。14歳のとき、この養父が66歳で他界。養母と二人の生活を余儀なくされる。
おじいちゃん(育ててくれた人)
Fujica シングル8、Sony PC9デジカム、Canon Ixyデジカメ、FM2 一眼レフ、hdcam
夕暮れ、なんだかみんなが家に帰ってゆく時間が好き。
朝の前。ひとりの時間、ものごとを考えられる。
昔、誕生日にもらった筆ぺん。袋つきでもちやすく、書きやすいから
一番最初、脚本も出来る前。
何でもない日に買ってきてくれた花束。
花屋
息子のまなざし
ビクトルエリセ、タルコフスキー、ダルデンヌ兄弟。
川上弘美、よしもとばなな、おーなり由子、高野文子。
ロシアのサンクトペルブルグ、チェコのイーラバ、スペインのカナリア諸島ラスパルマス
中学時代は実はヤンキー、高校時代はバスケ部の主将、1日5食、朝から晩までバスケ一色。
専門学校時代はとにかく貧乏してフィルムを買うお金を捻出していました。
奄美大島。自分のルーツ
黄色。昔、ベストテンに田原俊彦(としちゃん)の歌をかけてくれるよう葉書を書いた時、河瀨希彩(きいろ)というペンネームでかいたこともあるくらい好き。
夏、すべての長編映画は夏に撮っている。
冬は脳ミソまでかじかんでしまうのではないかと思うぐらい寒がり。
つくるのが好き。
最近は外食しておいしいなと思うと、レシピを聞いて作ってみることが楽しい。
できれば、簡単おいしい、朝ごはんの本を出したいと思っている。
昔飼っていた。犬、和音(わおん)という名のゴールデンレトリバー。
キャミリという名のポメラニアン。
今は金魚、カブトムシ、ざりがに、めだか、毛虫!
ペットじゃないけど、みつきの友達たち。
おじいちゃんに毎朝のごあいさつ